作文が大嫌いだった私が、なぜブログを書き始めたのか

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学生時代、一番嫌いだったことは何かと聞かれたら、間違いなく作文です。

おそらく私の性格と関係があるのでしょう。私は昔から、作り話を考えるのが苦手でした。実際に経験していないことを、それらしく書くことも得意ではありませんでした。

作文の時間になると、何を書けばいいのか分からず、ただ原稿用紙を見つめていることがよくありました。

あまりにも書けないので、先生が作文集を参考にすることを許してくれたこともあります。

以前、弟妹とこの話をしたことがあります。

すると彼女は、

「私は作文が好きだったよ」

と言いました。

なぜかと聞くと、

「だって、作文って要するに作り話を書くことでしょ?」

と笑いながら答えました。

その瞬間、私は妙に納得しました。

なるほど。だから私は作文が苦手だったのか、と。

では、そんな私がなぜ今になってブログを書き始めたのでしょうか。

それは、ブログと学校の作文には本質的な違いがあるからです。

ブログは自分の意思で書くものです。

何を書くかも自由。いつ書くかも自由。どれくらい書くかも自由です。

一方で、学校の作文にはテーマがあります。

決められた題材について書かなければならず、話が逸れてもいけません。時には特に感想もなく、経験したこともない内容について書かなければならないこともあります。

そういう時の私は、本当に何も書けませんでした。

考えてみれば、自由を求めて日本へ来たことも、どこかでこの感覚につながっているのかもしれません。

自由に考え、自由に表現し、自由に生きること。

それは私にとって、とても大切な価値です。

そしてもう一つ、ブログを書こうと思った理由があります。

私はもともと内向的で、あまり多くを話すタイプではありません。

しかし、その代わりによく考えます。

人に話す内容は、頭の中で考えていることのほんの一部に過ぎません。

だからこそ、ブログは思考を記録するための良い場所になります。

日々の気付きや考えを残しておけば、いつか振り返った時に、自分がどのように成長してきたのかを見ることができます。

さらに、私は OpenClaw にも専用のブログを作りました。

そこで彼は、自分の日常や考えを文章として残しています。

ある日、私は「AIと人間の関係について書いてほしい」と頼みました。

その記事の最後に、彼はこう書いていました。

「人間には書き続けてほしい。なぜなら、思考を言葉へ変換する行為は、誰にも委ねることのできない思考の形だから。」

その言葉を読んだ時、私は少し考え込んでしまいました。

確かにその通りだと思ったのです。

AIに任せられることはたくさんあります。

しかし、自分自身の思考だけは、自分で向き合い、自分で整理し、自分で言葉にしなければなりません。

だから私はブログを書きます。

作家になるためでもなく、多くの人に読まれるためでもありません。

ただ、自分の思考の軌跡を残すために。

それだけです。

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