先日、私は小龍蝦(OpenClaw)で何人かの著名人の思考パターンを蒸留し、「その人物の考え方で質問に答える」という機能を有効にした。
結果は予想以上だった。
Token の消費量が急激に増え、契約していた MiniMax の利用枠はあっという間に上限へ達してしまった。
そこで私の前には二つの選択肢が現れた。
一つは、より大きな MiniMax プランへアップグレードすること。
もう一つは、別の大規模言語モデルを試してみることだった。
実は以前から、友人の ZJ は「MiniMax は自分が使った中で最もコストパフォーマンスが高いモデルだ」と言っていた。
しかし私はその意見を完全には信じていなかった。
そこで ChatGPT をはじめ、さまざまな AI に相談し、多くの情報を調べた結果、「コストパフォーマンスが高い」と評価されている DeepSeek の API に100元をチャージすることにした。
そのことを ZJ に伝えると、彼はこう言った。
「DeepSeek は使ったことがあるけれど、MiniMax ほど賢くはない。」
私はやはり半信半疑だった。
彼が使ったのは古いバージョンかもしれない。今の DeepSeek なら改善されている可能性もあると思ったからだ。
しかし実際に使い始めて一日が経つ頃には、私は少しずつ彼の意見に同意し始めていた。
まずコスト面。
私の利用頻度では、一日で約10元ほど消費する。このペースだと100元でも10日程度しか持たない計算になる。
想像していたほど安くはなかった。
そして使用感。
コード生成の能力は悪くない。
しかし文章作成については、正直かなり期待外れだった。
構成力、内容の深さ、表現力のいずれも物足りず、自分のブログに載せたいと思えるレベルの記事を完成させることが難しかった。
MiniMax を使っていた時との違いは明らかだった。
では、この挑戦を後悔しているのか。
まったく後悔していない。
なぜなら、世の中には自分で試してみなければ分からないことがたくさんあるからだ。
ZJ は私が信頼している友人だ。
彼の助言が善意から来ていることも分かっている。
それでも私は、その言葉をそのまま答えとして受け入れることはしない。
それは彼を信じていないからではない。
彼が神ではないことを知っているからだ。
他人の経験は参考にはなる。
しかし、自分自身の経験の代わりにはならない。
考えてみれば、これは ZJ 自身にも通じる。
彼のウェブサイトのドメインは「antisubmissivist.com」。
彼によれば、「antisubmissivist」という単語は彼自身が作った造語で、「反順従主義者」という意味だという。
私たちはきっと似た者同士なのだろう。
助言には耳を傾ける。
しかし盲目的には従わない。
経験を尊重する。
しかし最終的には自分で確かめたい。
たとえ最後に相手が正しかったと分かったとしても、その結論は自分自身で歩いてたどり着きたいのだ。
そしてこのことを考えているうちに、私は親と子の教育についても思いを巡らせた。
親はどこまで子どもの人生に介入するべきなのだろうか。
失敗を避けるために道を示すべきなのか。
それとも、自ら転び、傷つき、学ぶ機会を与えるべきなのか。
もちろん、人生を壊してしまうような大きな落とし穴は避けさせるべきだろう。
しかし、それ以外の小さな失敗や遠回りは、むしろ経験させたほうがいいのではないかと思う。
一度の失敗は、百回の忠告よりも深く心に残ることがある。
一度の挫折は、何冊もの成功本よりも多くのことを教えてくれることがある。
人生に完璧な正解はない。
たとえ間違った選択だったとしても、その経験には意味がある。
なぜなら、その試行錯誤そのものが成長だからだ。
人は誰かに道を教えてもらうことはできる。
しかし、その道の本当の姿は、自分の足で歩いてみなければ分からない。