ローマで生まれることは幸福を意味するのか
世の中には有名な言葉がある。
「すべての道はローマに通ず。」
私はこの言葉を、「成功へ向かう道は一つではない」と理解している。
努力を続ければ、誰にでも自分の目指す場所へたどり着く可能性があるという意味だ。
しかし後になって、多くの人がこの言葉に続けてこう言うようになった。
「でも、生まれたときからローマにいる人もいる。」
この一言は現実をよく表している。
裕福な家庭に生まれ、豊かな環境や多くの資源に恵まれた人たちがいる。多くの人が一生懸命働いて手に入れようとするものを、彼らは生まれながらにして持っている。
そのため、私たちはつい「生まれながらにローマにいる人」をうらやましく思ってしまう。
生活に困ることなく、将来への不安も少なく、欲しいものも手に入りやすい。
きっと幸せなのだろうと思う。
しかし、本当にそうだろうか。
少し考えてみると、必ずしもそうとは言えない。
例えば、今のあなたは子どもの頃の自分よりもお金を持っているはずだ。
自由に使えるお金も増えた。
しかし、子どもの頃よりも毎日が楽しくなっただろうか。
必ずしもそうではない。
もう一つ例を挙げてみよう。
私たちの多くは健康な身体を持ち、自由に歩き、働き、生活することができる。
しかし、毎日そのことに感謝し、幸せを感じているだろうか。
おそらくそうではない。
なぜなら、それが当たり前になっているからだ。
一方で、長い病気から回復した人や、失った健康を取り戻した人は、その価値を深く実感するだろう。
当たり前が幸福感を奪う
人間は、自分がすでに持っているものに慣れてしまう生き物である。
心理学ではこれを「快楽順応(かいらくじゅんのう)」と呼ぶ。
お金、地位、物質的な豊かさなども、手に入れた瞬間は嬉しくても、時間が経てばそれが当たり前になってしまう。
幸福は「持つ」ことではなく「得る」ことから
つまり、幸福感は「持っていること」そのものから生まれるのではなく、「手に入れること」から生まれることが多い。
初めて自分のお金で買ったスマートフォン。
初めて受け取った給料。
初めて借りた自分だけの部屋。
その喜びは、物そのものではなく、「持っていなかったものを手に入れた」という経験から生まれている。
だからこそ、生まれながらに何でも持っている人は、その喜びを感じる機会が少ないかもしれない。
豊かさを持っていても、それを手に入れた達成感を味わうことはできない。
多くの人が人生の中で経験する成長や達成の喜びを、十分に感じられないこともある。
そう考えると、時として貧しい人のほうが豊かな人より幸せを感じやすいのかもしれない。
なぜなら、未来に期待できるものがたくさんあるからだ。
昇給。
理想の仕事。
自分の家。
夢だった旅行。
それら一つひとつが幸福の源になる。
貧困そのものではなく成長が幸福をもたらす
もちろん、ここで重要なのは、貧しさそのものが幸福を生むわけではないということだ。
本当に幸福を生むのは、成長し、挑戦し、少しずつ前へ進んでいく過程である。
もし貧しさを理由に努力をやめてしまえば、それは苦しみしか生まない。
しかし、たとえスタート地点が低くても、一歩ずつ前へ進み続ける人は、そのたびに新しい幸福を手に入れることができる。
もしかすると、人生最大の幸せとは、生まれたときからローマにいることではない。
ローマへ向かう道の途中で、自分が昨日よりも前へ進んでいることを実感することなのかもしれない。