
「クラスで一番下手」その四文字
私は子どもの頃から、勉強の成績はいつも「中の上」くらいだった。
学年で一番になったことはないし、かといって最下位になったこともない。
振り返ってみると、勉強だけではなく、多くのことがそんな感じだった。
特別に優れているわけではない。でも、極端に苦手というわけでもない。
そんな私の考え方を変えた出来事が、中学時代にあった。
国語の授業で先生が宿題を返していたときのことだ。
私が前に出てノートを受け取ろうとすると、先生は私の字を見てこう言った。
「君の字は横もまっすぐじゃないし、縦もまっすぐじゃない。クラスで一番汚い字だ。」
今でもその言葉を覚えている。
なぜなら、それまで自分の字がそんなにひどいとは思ったことがなかったからだ。
ショックだった。
しかし同時に、その日が私の字の練習の始まりでもあった。
私は書店で字の練習帳を買い、毎日少しずつ練習した。
通学路では看板の文字を見ながら、「どうしてこの字はきれいに見えるのだろう」と考えていた。
そして中学後半になって、私には大きな幸運が訪れた。
恩人の同級生・李春騰
同じクラスの李春騰という友人と同じ席になったのだ。
彼の字は本当に美しかった。
今でも名前を覚えているくらいだから、どれほど感謝しているか分かると思う。
彼はよく私の字をからかって、「大きくて汚い字だな」と言っていた。
でも私は腹を立てなかった。
なぜなら、それが事実だったし、彼の字が本当に上手だったからだ。
それに彼は勉強もよくできた。
私は暇さえあれば彼に字の書き方を教わった。
彼はとても根気強く、一画目から丁寧に教えてくれた。
そのおかげで、私の字は少しずつ変わっていった。
高校で突然褒められた日
高校に入ったある日、国語の先生がクラス全員の前で私の字を褒めてくれた。
「君の字には筆の勢いがあるね。書道を習っていたの?」
そう聞かれた。
私は「習っていません」と答えた。
お金を払って習ったわけではなかったし、その頃は「筆の勢い」という言葉の意味さえ知らなかった。
授業が終わると、クラスメートたちが私のノートを見に集まってきた。
とても嬉しかった。
もちろん、自分より字が上手な人はたくさんいたと思う。
それでも、数年間続けた努力が報われたような気がした。
あれは人生で初めて、自分の苦手だったことを努力によって得意なことへ変えられた経験だった。
昨年、日本語学校でも桐原先生に字を褒めていただいた。
あの瞬間も本当に嬉しかった。
そして最近、ふと考えることがある。
それは語学学習についてだ。
私はずっと「自分は語学が苦手だ」と思ってきた。
英語は小学校から勉強していたが、成績はあまり良くなかった。
家族も心配して、高価な英語学習機械を買ってくれたことがある。
それでも大きな成果は出なかった。
今は日本語を勉強しているが、ときどき同じことを感じる。
「やっぱり自分は語学が苦手なのではないか」と。
しかし最近、ある疑問が浮かんだ。
本当に私は語学が苦手なのだろうか。
それとも、昔から自分自身に「語学が苦手な人間だ」というラベルを貼り続けてきただけなのだろうか。
もしそうだとしたら、その思い込みこそが最大の障害なのかもしれない。
私は字のことを思い出す。
もしあの日、「自分は字が下手だから仕方ない」と諦めていたらどうなっていただろう。
今のように人から字を褒められることはなかったはずだ。
私たちはよく、才能がないことを言い訳にする。
しかし本当に私たちを止めているのは、才能の不足ではないのかもしれない。
「自分には無理だ」
「向いていない」
「どうせできない」
そんな思い込みが、私たちの可能性を狭めているのではないだろうか。
限界を作っているのは才能ではなく自分自身
もしかすると、自分を制限しているのは能力ではない。
自分自身が信じ込んでいる限界なのかもしれない。