学歴とは、実は「選別の仕組み」である

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この数日、中国では毎年恒例の大学入学統一試験(高考)が行われている。

多くの中国の学生にとって、それは人生を左右する重要な試験だ。

そのニュースを見ていて、私は16年前の自分の高考を思い出した。

実は私は高考を受験したが、どの大学にも出願しなかった。

理由はいろいろあるが、今日は詳しく語らない。

ただ当時の私は、最初から多くの人とは違う道を歩もうと決めていた。

大学へ進学する代わりに、一つの技術を身につけ、できるだけ早く社会に出ることを選んだ。

その頃の私は、社会こそ本当の大学だと思っていた。

教室で学ぶ理論よりも、実際の経験から学べることの方が価値があると考えていたからだ。

しかし現実は、私の想像ほど単純ではなかった。

コンピューター専門学校を卒業し、就職活動を始めたとき、私は学歴の重要性を痛感した。

能力を見てもらう前に、履歴書の段階で落とされてしまうことがあった。

学歴がなければ、面接の機会すら得られないことも珍しくなかった。

どれだけ能力があっても、どれだけ経験があっても、それを知ってもらう機会がないのである。

その後、私は社会人向けの進学制度を利用し、短期大学相当の学歴を取得した。

それは学歴が能力を証明すると思ったからではない。

学歴の本当の意味を理解するようになったからだ。

昨日、日本語学校で「歴」という漢字を学んだ。

そのとき先生が、「日本は学歴を重視する国です」と話していた。

その言葉を聞いて思った。

それは日本だけではない。

中国でも、日本でも、世界中の多くの国でも、人は相手の過去の実績や経歴によって、その人の能力を判断しようとする。

それはある意味で自然なことだ。

私たちは魅力的な外見の人に目を引かれる。

なぜなら外見は一目で分かるからだ。

一方で、人柄や能力、考え方は時間をかけなければ理解できない。

しかし現実には、誰もが十分な時間を持っているわけではない。

だからこそ、人は目に見える指標を使う。

学歴もその一つである。

学歴は、その人の能力を完全に証明するものではない。

しかし企業が応募者を効率的に選別するための基準にはなる。

毎年何百、何千もの履歴書が届く中で、企業が一人ひとりを詳しく調べることは難しい。

そこで学歴が、低コストで効率的な判断材料として使われるのである。

私は今、こう考えている。

学歴は能力ではない。

しかし、学歴は入場券である。

それだけで成功が決まるわけではない。

しかし、その舞台に立つ機会を得られるかどうかを左右することはある。

最終的に人の価値を決めるのは、学び続ける力であり、問題を解決する力であり、成長し続ける意志である。

それでも現実には、学歴がその力を見せる機会を与えてくれることがある。

それこそが、学歴の最も現実的な価値なのだと思う。

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