今日、母から一本のメッセージが届きました。
祖父が亡くなりました。
享年86歳でした。
正直なところ、私はそれほど驚きませんでした。
というのも、一年前から祖父は寝たきりの状態で、体はほとんど動かせず、食事や水分補給、寝返り、排泄まで、すべて家族の介助が必要だったからです。
祖父にとって、それはもう「生きている」というより、「人生の終わりを静かに待っている時間」だったように思います。
だからこそ、その知らせを聞いたとき、私の心にあったのは深い悲しみというよりも、静かな気持ちでした。
祖父にとっても、一つの解放だったのではないか。
そして、長い間そばで支え続けてきた家族にとっても、一つの区切りであり、解放だったのではないかと思います。
死は、誰も避けることのできないテーマ
人生には、お金がある人もない人も、成功した人も、平凡な人もいます。
けれど、最後には誰もが同じ場所へたどり着きます。
それが「死」です。
その日が早いか遅いか、その違いがあるだけです。
私は、人が80代、90代まで大きな病気もなく生きられるだけでも、とても幸運なことだと思っています。
それだけ長い時間があれば、この世界を知り、人を愛し、学び、失敗し、そして成長することができます。
しかし、80年、90年という時間は、決して長いものではありません。
目標があり、夢があり、毎日を充実して生きている人にとっては、あっという間に過ぎてしまうでしょう。
一方で、やるべきこともなく、ただ何となく毎日を過ごしている人や、苦しみの中でもがきながら生きている人にとっては、同じ時間がとても長く感じられるかもしれません。
時間そのものは変わりません。
その長さを決めるのは、私たちが人生にどんな意味を与えるかだと思います。
人生は、地図のない旅のようなもの
少し前にJLPT N2の読解問題を解いていたとき、ある文章にこんな一節がありました。
「人生は、地図のない旅のようなもの。」
旅の終わりまでに何が待っているのか、誰にも分かりません。
どの道を選べば正解なのかを教えてくれる人もいません。
私たちは歩きながら、自分だけの道を探していくしかないのです。
その文章を読んだあと、私は別のたとえを思いつきました。
私にとって人生は、むしろ「自由度の非常に高いゲーム」のようなものです。
誰もが、自分だけのゲームをプレイしている
人生というゲームは、人それぞれ違う初期設定から始まります。
裕福な家庭に生まれる人もいれば、
ごく普通の家庭に生まれる人もいます。
才能に恵まれた人もいれば、
生まれつき体が弱い人もいます。
そうした初期条件は、自分では選べません。
しかし、ゲームが始まったその瞬間から、少しずつ選択権は自分自身に渡されます。
毎日何もせずにのんびり過ごすこともできます。
給料をすべて使い切って、今この瞬間を楽しむ人生を選ぶこともできます。
結婚して子どもを育て、命を次の世代へつないでいくこともできます。
起業することも、
旅をすることも、
一つのテーマを一生かけて研究することもできます。
あるいは、学び続け、成長し続ける人生を選ぶこともできます。
私は、どの選択にも正解や不正解はないと思っています。
どんなゲームをプレイするかは、一人ひとりが自由に決めていいのです。
私が選びたいのは、「自由」という生き方
もし「人生で一番手に入れたいものは何ですか」と聞かれたら、
私の答えはずっと変わりません。
それは、「自由」です。
ここでいう自由とは、好きな場所へ行けることだけではありません。
自分が望む生き方を、自分自身で選べることです。
生活のためだけに、本当はやりたくない仕事を続けなくてもいいこと。
お金の問題で、本当にやりたいことを諦めなくてもいいこと。
私にとって、経済的自由は、お金を誇るためのものではありません。
人生の選択肢を増やすためのものです。
目的はお金ではありません。
本当に欲しいのは、「自由」なのです。
もちろん、それが簡単ではないことも分かっています。
経済的自由は、多くの人の夢であり、
そして多くの人が一生かかっても到達できない目標でもあります。
それでも、私は諦めようとは思いません。
目標とは、達成するためだけにあるものではないからです。
目標があることで、人は毎朝起きる理由を持ち、
時間の使い方が変わり、
そして少しずつ、自分自身も変わっていきます。
ゲームオーバーまでの残り時間を数え続けない
死は、誰にも避けられません。
人生というゲームにも、必ず終わりがあります。
だからこそ、私は毎日その終わりばかりを気にして生きる必要はないと思っています。
ゲームオーバーまでの残り時間を数え続けるよりも、
今プレイしているこの一回を、精一杯楽しみたい。
人生には、自分が夢中になれるものが必要です。
心から目指したい目標が必要です。
そして、その目標に向かって、一歩ずつ進み続ければいい。
たとえ最後までたどり着けなかったとしても、それで構わないと思います。
ゲームが終わるその瞬間、
私は胸を張って、こう言えたら十分です。
「この人生を、本気で生きた。」
時間を無駄にはしなかった。
後悔もしなかった。
それが、今の私が考える人生の意味です。